谷底のカスミソウ ―Valor VS Malice ―
5,バッタリと出会った人
Side:
万が一にも男装姿で帰って、
外したウィッグと、自前の髪をまとめていたウィッグネット、それから なべシャツを、ジーパンのポケットに入れていたエコバッグにしまう。
こっちに向かってくるその人から視線を遠ざけて、左側の商品だなを見ながらすれちがおうとしたら、ポンと肩をつかまれる。
また“不運”が……? とあきらめの気持ちで横に来たお客さんを見ると、彼も横目に私を見て。
パチッと視線が
「「……え?」」
涼やかな黒髪に、切れ長の瞳の、ととのった顔立ち。
私の目に焼き付いたまま離れない、恩人……
どうして一改くんがここに、と
「こ、ここに男が入っていったと思うんだが……知らないか?」
「……!」
もしかして、私を追ってきた……の……!?
じっくり見られたら気づかれちゃうかも、と思って、顔をそらしながら、気持ち高めの声で「い、いえ……」と答える。
正体に気づかれる前に立ち去ってしまおうと、それからすぐ、顔をうつむけた状態でコンビニの出入り口を目指した。
「待て」
「っ……」
ビクッと肩がはねるのを感じながら、足を止める。
もう……気づかれちゃった……?
息を殺して、うつむいたまま背後の
「あんた、1人か? ここら辺には女をねらって、わるさをしてるやつがいる。遅い時間は特に、女1人で出歩かないほうがいい」
……正体に気づかれたわけじゃ、なさそう?
ホッと肩を落として、私は「は、はい……」と返事をしてから、また急ぎ足で歩き出す。
今は
「聞いてなかったのか? 女が1人で出歩かないほうがいい。家の近くまで送っていく」
「え……?」
また……守ってくれるの?
一改くんの言葉にびっくりして、思わず振り向くと、切れ長の瞳と目が合う。
今日、再会したときとはちがう……やさしさの宿った、温かい目。
なんだか、胸が じん……とするのを感じながら、一改くんと見つめ合っていると、すこし、彼の眉根が寄った。
「あんた……前にどこかで会ったか?」
「……!」
ハッとして、いきおいよく顔をそむける。
一改くんの記憶に残っているのは、今日、男装していたときの私?
それとも、2週間前の……私?
後者なら、“そうだよ”って言いたい。
でも、前者なら……。
「い、いえ……」
「……そうか、わるい。もうここに用はないか?」
問われて、顔をそむけたままうなずくと、「じゃあ、行くぞ」と腕を離された。
私の横を通りすぎてコンビニの外へ向かう一改くんの背中を追って、私も歩き出す。
開いた自動ドアを通り抜けると、すこし肌寒さも感じる夜風が髪をさらった。
「家、どっちだ?」
「左……です」
「そうか」
一改くんは左側の道に顔を向けて歩き出す。
白いロングTシャツにおおわれた背中を見つめながらうしろをついていくと、10歩ほど進んだ先で、一改くんが振り返った。
「横に来い。うしろにいられると守りにくい」
「……どうして、あなたは……守ってくれるんですか?」
夜の闇が顔を隠してくれることを願いながら、おずおずと一改くんの顔を見て
一改くんは視線をそらして、私の問いに答えてくれた。
「それが、今俺がいるところの活動だからだ。それに……今まで見捨ててきた分、これからは絶対に全員助けるって決めた」
「……今まで?」
問い返すと、一改くんはあごをクイッと動かして、“横に来い”と伝える。
私は唇をキュッと閉じてから、ゆっくりと一改くんの横にならんだ。
一改くんは私を横目に見ると、ふたたび歩き出す。
「……俺には、クズな兄貴がいるんだ。兄貴は今まで、いろんな悪事をしてきた」
すこし、トーンを落とした声が、2つの足音に混じって、となりから聞こえる。
一改くんの“兄貴”……って、
「でも、俺は……さからっても兄貴に勝てるわけないって思いこんで、今まで、それを全部、見て見ないフリしてきた」
「……私は、助けてくれる人なんていないのが、あたりまえだと思ってました」
私の気持ちも明かすと、一改くんは横目に私を見た。
その視線を受け止めながら、しずかに尋ねる。
「……どうして、変わったんですか?」
「今の仲間に……しつこいくらい、説得されたんだ」
今の仲間……
視線を前にもどした一改くんの横顔を見つめて、あのとき一改くんに助けてもらえたのは
視覚的なまぶしさは感じないはずなのに、なんだか一改くんがまぶしく見える。
胸もドキドキと音を立てていた。
「……なんでこんなこと、べらべら しゃべってんだろうな」
独り言のようにつぶやいた一改くんは、それから口を閉ざして、道を尋ねる目的以外で、私と言葉を
となりにいる一改くんの気配を感じながら、無言で歩いているうちに、あっというまに家に着く。
「私の家、ここです」
「……そうか。じゃあな。しばらくは、1人で外を出歩くな」
あっさりとあいさつをして、来た道をもどろうとする一改くんの背中に、「あの……っ」と声をかけた。
一改くんはジャリ、と小さな音を立てて足を止め、振り返る。
「……なんだ?」
「あ……ありがとう、ございます」
「あぁ」
うなずいて、そっけなく顔をそらした一改くんの背中が離れていくのを、私は家の前からじっと見つめていた。
お礼、言えた……。
でも、私が本当に伝えたい“ありがとう”は……。
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