2,本物王子には(かな)わない ―中―

約2,000字(読了まで約6分)



「今日は宿題ないのか?」

「あ。あるよ!」


 問いかけられた彩姫(さき)は気を持ちなおすように口角を上げ、タッタッとリビングを出て自室に入る。
 制服からゆるいシルエットのルームウェアに着替え、教科書・ノート・ペンケースを小わきに(かか)えてリビングにもどった。
 変わらずソファーに寝転がっている王賀(おうが)とローテーブルのあいだに座った彩姫は、教科書とノートをテーブルに広げて、うしろに顔を向ける。


「王賀くんの宿題は?」

「学校で終わらせた」

「そっか、相変わらずだね」


 目を閉じている王賀にニコッと笑顔を向けたあと、彩姫は顔の向きをもどして「よし」と宿題に取りかかった。
 これが平日における、彩姫と王賀の日常である。

 教科書を見ながら、課された宿題の答えをノートに書く彩姫の筆記音は、しずかなリビングに一定のリズムで ひびいていた。
 しかし しばらくすると、彩姫はシャープペンシルの頭をあごに当てて、「うーん」と小さくうなりながら眉根を寄せる。
 彩姫の背後でスッと目を開けた王賀は、顔を横に向けてテーブルの上をながめた。


「……この問題は、ここを分解して考えるんだ。そうすれば、なにを答えればいいか、かんたんに わかるだろ?」

「あぁ!」


 衣擦(きぬず)れの音を立てながら体を起こし、彩姫の肩越しにノートを指さして、王賀は()だるげな声を落とす。
 彩姫はノートにシャープペンシルを走らせてから、振り向いて花が咲くような笑みを浮かべた。


「ありがとう、王賀くん」

「ん」


 王賀は澄ました顔で片足をソファーから下ろし、片足を自身のひざの上に置いて、半あぐらの姿勢(しせい)で ほおづえをつく。
 宿題にもどった彩姫が次の問題を、また次の問題を、と順調に解いていくのをしばらくながめたあと、王賀はゆっくりと立ち上がった。


「……王賀くん?」

「トイレ」

「そっか」


 一度は王賀に顔を向けた彩姫が、納得したようすで宿題にもどると、王賀はしずかにリビングを出て、トイレに……ではなく。
 別室のキッチンへと、のんびり歩いていった。


****


「よし、終わった」


 ふぅ、とため息混じりに彩姫がシャープペンシルを手放したそのとき、「じゃ、飯食べるぞ」と王賀の声がリビングにひびく。


「わっ!」


 彩姫はビクリと肩をふるわせて、廊下(ろうか)につながる扉があるほうへ、いきおいよく顔を向けた。
 そこに立つ王賀は、いつのまにかラフな部屋着姿に変わっている。


「王賀くん、いつのまに夕飯の支度を……! 私もやるって言っているのに!」


 ムッと眉をひそめて唇をすこしとがらせる彩姫に、王賀はヘラリと笑って答えた。


「彩姫の宿題が終わるのを待ってたら、遅くなるだろ」

「声をかけてくれたら、残りは寝る前にまわしたのに」

「それで、わからない問題があったら寝るまぎわの俺をたたき起こしに来るのか?」

「う……王賀くんはイジワルだ」


 彩姫はプクッとほおをふくらませて不満をあらわにする。
 おなじ学校の乙女(おとめ)たちが見ればおどろきに目を見開くその子どもっぽいようすも、幼いころから彩姫を知っている王賀にとっては見なれたもの。


「イジワルでけっこう。早くそれ片付けてこい」


 王賀は肩をすくめて廊下にもどり、1人で食堂に向かった。


「もう……明日こそは私が……」


 彩姫はブツブツとつぶやきながら、広げた教科書とノートをまとめて、自室に宿題セットを置きにもどる。
 王賀の到着(とうちゃく)から遅れて食堂に入った彩姫は、レストランで出てくるような見栄えのいい洋食がテーブルにならんでいるのを見て、目をかがやかせた。
 彩姫が足取り軽く席に座ると、2人は「いただきます」と声を合わせる。

 フォークとナイフを使って、いろどりあざやかな前菜をまず口に運んだ彩姫は、もぐもぐと口を動かしたあとに顔をほころばせた。


「おいしい!」

「俺が作ったんだからあたりまえ」

「うんっ」


 クールに言葉を返した王賀に対して、彩姫はニッコリとした笑顔を向ける。
 それから、うれしそうにまたべつの料理を口に運ぶ彩姫を見て、王賀はため息混じりに笑った。


「そーゆーとこはかわいいのに……」


 ボソッとつぶやかれたその言葉は、彩姫の耳には届かなかったよう。


「うん? なにか言った?」

「べつに」

「そっか……」


 顔を上げて首をかしげた彩姫は、王賀が澄ました顔でもくもくと夕飯を食べるようすをしばし ながめる。
 そして、気を取りなおしたように、笑顔で「ねぇ、王賀くん」と話しかけた。


「ん?」

「私もそろそろ、王賀くんみたいなかっこいい王子さまになれたかな?」

「……」


 王賀は目の前の料理に落としていた視線を上げて、しずかに彩姫を見つめる。

 こう見えて、幼き日の王賀は、彩姫にとってあこがれの存在だった。


『ひっく……ふえぇぇん……っ』

『さきちゃん。今日はどうして ないているの? さきちゃんを かなしませているものの正体を、ぼくに教えて』

『おうが、くん……おとーさまとおかーさまがね、明日、おうちにいないんだって……』



ありがとうございます💕

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