3,本物王子には(かな)わない ―下―

約2,700字(読了まで約8分)


 幼いころ、彩姫(さき)は今のようすとはちがって、大変繊細(せんさい)な女の子だった。
 王賀(おうが)は、よく涙を流す1歳年下の婚約者に、いつもやさしいほほえみを向け、手を差し伸べていた。


『そっか……それはさみしいね。それならさきちゃん、明日は ぼくのおうちに来ない?』

『おうがくんの、おうちに……?』

『うん。ぼくといっしょにいれば、さみしくないよ。お父さまとお母さまが帰ってくるまで、ぼくといっぱいあそぼう』

『……! うんっ。さき、おうがくんと いっしょにいる!』


 かがやきをおおい隠すくもから顔を出した太陽のように、キラキラした顔に変わった彩姫が胸に飛びこむと、王賀は彩姫をギュッと抱きとめる。


『さきちゃんのなみだは、ぜんぶぼくが晴らしてあげる。さきちゃんが いつもかわいい えがおでいられるように……ぼくはさきちゃんと、ずっといっしょにいるよ』


 顔を上げれば、いつもやさしい笑顔を浮かべて、彩姫をまっすぐ見つめてくれていた王賀は、彩姫にとって、絵本から飛び出した王子さまのようだった。
 それが、成長するにつれてひねくれていったのは……まぁ、彼なりの理由があるようだが。
 ときはもどり現在、彩姫はあこがれの“王子さま”を見つめて、ワクワクと目をかがやかせる。


「……彩姫は、“かっこいい王子さま”にはなれないよ」


 その期待に反して、目を()せながら冷たく落とされた言葉に、彩姫は目を大きく見開いた。


「ど、どうして!?」

「だって、彩姫は泣き虫だろ」


 ツンとしたようすで、王賀はナイフとフォークを動かし、料理を口に運ぶ。
 彩姫はすこし前のめりになって、目を合わせない王賀を見つめた。


「そ、それは昔の話で……が、学校のみんなだって、よくかっこいいって言ってくれるんだよ!」

「俺にはかっこよく見えないね」

「っ……王賀くんは、イジワルだ……」


 瞳をうるませた彩姫は、唇を固く閉じてうつむく。
 幼少期、王賀という“王子さま”を間近で見てきた彩姫の夢は、王賀のように、“かっこいい王子さま”になることだった。
 はた目から見れば、その夢はもう叶っている、と言えなくもない。

 しかし彩姫にとっては、王賀に認められることが、夢の達成に必要なゴールだった。
 王賀は一度カトラリーを置いて、うつむいている彩姫を見つめる。


「王子さまごっこ、もうやめろよ。彩姫には絶対似合(にあ)わない」

「……っ、いやだ……」

「なんで」


 眉をひそめる王賀から発せられた声は、すこしキツイひびきをはらんでいた。
 彩姫はうつむいたまま、ギュッと目をつぶって、カチャンと音を立てながらカトラリーを置く。


「だって……! 私も王賀くんにおとらない、かっこいい王子さまになって、王賀くんのとなりに立ちたいんだ! 王賀くんが……大好きだからっ」

「……はぁ。あのさ、彩姫だってもう高2だろ? 俺たちは小さな子どもじゃなくて、大人になろうとしてる婚約者なんだ」


 王賀は()がれるように瞳をゆらしながら、うつむき続ける彩姫の頭をじっと見つめた。


「好きな“お兄ちゃん”のマネをしたいとかじゃなくてさ。……結婚相手の男として、俺を見ろよ」

「……ぇ?」


 ポカンと目を見開いて、彩姫は小さな声をもらす。
 数秒固まったあと、いきおいよく顔を上げた彩姫の目には、“想い人を振り向かせたい”と必死になるあまり、眉根を寄せている王賀の姿が映った。
 彩姫は目を丸くしたまま、王賀の誤解(ごかい)を解くために口を開く。


「お、“お兄ちゃん”だなんて、思っていないよ。昔から、王賀くんは私のかっこいい王子さまだ」


 そこまで言っておどろきから抜け出した彩姫は、前のめりになって、ほおを赤く染めながらまっすぐに王賀を見つめた。


「私は王賀くんと手をつないだり、キスをしたり、私たちの子どもを育てたりしたい。……でも、泣き虫の私じゃ、王賀くんに似合わないから……」


 しゃべりながら、いきおいと視線を落とした彩姫は、またうつむく。


「王賀くんみたいなかっこいい王子さまになって、王賀くんのとなりに立てる人になりたいんだ」

「……」


 しおらしく真意を明かした彩姫を見つめ、王賀はおどろきに全身を支配されたように、ポカンとしたまま しばらく固まった。
 彩姫と王賀は、長いあいだ おたがいの真意を知らずに、すれちがっていたのだ。


「……ふはっ。そんなこと考えてたのかよ」


 おどろきから抜け出した王賀は、くしゃっと表情をくずして笑う。
 王賀の笑い声を聞いた彩姫は、目を丸くしながら顔を上げた。


「お、王賀くん……?」

「俺に見合う子になりたくて、彩姫は王子になろうとしてたの?」


 王賀はテーブルに ほおづえをつきながら、もう何年も見せることのなかった、やさしいほほえみを浮かべる。
 彩姫は ほおを赤くして、「う、うん」とコクコクうなずいた。


「王子さまのとなりに立つのは、お(ひめ)さまだろ。彩姫はかわいいお姫さまでいればいいんだよ」


 王賀はニッと、挑発的(ちょうはつてき)に目を細めながら笑う。


「“かっこいい王子さま”の座は、ゆずらないから」

「……っ!」


 彩姫の瞳は、大きく見開かれた。
 バクッ、バクッと体の内から外までひびかんとする、はげしい鼓動(こどう)に、彩姫の体温は上がる一方だ。
 そんな状態に彩姫を追いやった王賀は、口角を上げたまま目を閉じて、ため息混じりにこぼす。


「どんどんナナメに走って行くから、俺の婚約者としての自覚がないのかと思った」

「そ、そんなことないよ! 私は昔から王賀くんが大好きだもんっ」


 あわてて言い返した彩姫に視線を向け、王賀はやわらかい笑みを浮かべた。


「そ。俺も彩姫が大好き」

「!」

「彩姫がちゃんと俺を結婚相手として見てるなら……もう、キスしてもいいな?」

「……え?」


 きょとんとする彩姫をよそに、王賀はイスから立ち上がって、テーブルのふちをなぞるように歩く。
 一歩一歩近づいてくる王賀を見ながら、先ほどの言葉を理解した彩姫は、顔を真っ赤にしてあたふたと手を振った。


「お、王賀くん、待っ……!」

「はい、お口チャック」


 彩姫のあごにふれ、イジワルに目を細める王賀を見て、彩姫は思わず口を閉じる。
 ふっと笑みをこぼした王賀は、まぶたを閉じて彩姫に――……キスをした。


「お、おおお、王賀、くん……っ」

「彩姫は昔からずっと、俺のお姫さまだ。……これからもちゃんと、“お姫さま”でいるよーに」


 王賀は、今にも湯気を出しそうな彩姫に近づき、コツンとひたいを合わせてほほえむ。
 ぐるぐると目を回しながら、彩姫は「は、はい……っ」と上擦(うわず)った声で答えた。

 あこがれの男の子のように、かっこいい王子さまを目指した1人の女の子。
 しかし……本物の王子さまには、(かな)わなかったようだ。


[終]
ありがとうございます💕

(※無断転載禁止)