谷底のカスミソウ ―Valor(ヴァラー) VS Malice(マリス)

10,涙の理由

約2,600字(読了まで約7分)



「それに……初めて助けた相手が、こんなふうに感謝を伝えに来てくれて……なんつーか、うれしい」


 首に手を当てながら、一改(いっかい)くんはほほえんで私を見る。
 その瞬間、どうしてかはわからないけれど。
 ツン、と鼻の(おく)が痛くなって、(なみだ)があふれた。


「えっ……わるい、なんか いやなこと言ったか……!?」

「いえ……あの、私も、よくわからなくて……ごめんなさい……」


 ギョッと目を見開いてあわてる一改くんから視線を外して、涙をこらえるようにギュッと目をつぶる。
 いやなことを言われたわけじゃない。
 むしろ、胸がいっぱいになって……この気持ちを、なんて言ったらいいのかわからないの。

 一改くんをこまらせるなんて いやだから、涙を止めたいのに、止まらない。
 ほおを伝う涙を指でぬぐっていると、ポン、と頭に軽い感触が乗った。
 目を開けて顔を上げれば、一改くんがこまった顔でぎこちなく私の頭をなでる。


「わるい……泣くな」


 とまどっているのに、私を見つめるまなざしはやさしくて。
 一改くんみたいな人は初めてだ、とあらためて思ったら、べつの感情が湧き上がってきて、ぶわっと涙があふれた。


「な……っ!?」

「ご、ごめん、なさい……っ。あの……お礼、伝えたから……っ、もう、一改くんに会えないんだって……思ったら……涙、止まらなくて……っ」


 一改くんというやさしい人を知ったのに、これから先の私の人生には、もう一改くんがいなくなる。
 それがなんだか、今までの人生よりつらく思えて、こらえようとしても、涙が止めどなく流れた。
「ふ、ぅ……っ」とおえつまでもらして泣き続けていると、なぜかくぐもった、一改くんの声が聞こえる。


「また……会えば、いい」

「……え……?」


 顔を上げてまばたきをすると、すこしゆがんだ視界に、赤い顔をそむけて、口元に手の甲を当てている一改くんの姿が見えた。


「……連絡先、教えるから。今度は、こんなとこじゃなくて……もっと、安全なとこで」


 つい、と私に向いた視線。
 言葉にしなくても、“会おう”と言ってくれていることが伝わって、私は目を見開いた。


「い、いいんですか……っ? 私なんか……」

「……あんた、名前は?」

「あ……薄葉(うすば)、薄葉かすみです……っ」


 ポロ、とまたあふれた涙がほおを伝っていくと、一改くんは一歩私に近づいて、「俺は反町(そりまち)一改(いっかい)」とあらためて自己紹介をする。
 そして、私の頭を胸に抱き寄せた。


「あぶない目に()ったのに、Malice(マリス)に近づくし……こんな、ボロ泣きするし……なんか、放っておけねぇから。……かすみのこと、見ておく」

「……っ」


 シャツ越しに感じる、温かい体温のせいか。
 耳元で聞こえる、低い声のせいか。
 初めて呼ばれた、名前のせいか。

 ドキドキと鼓動(こどう)が速くなって、顔に熱が集まっていく感触がする。
 一改くんが、これからも私の人生にいてくれることが、うれしくて。


「……い、」

「おい、一改!」

「ちょ、総長! 今声かけたらかわいそうだって、なんかいい雰囲気だし!」


 一改くんに話しかけようとしたとき、他の人の声が聞こえて、私も、なぜか一改くんも、ビクッと肩がはねた。


「っ、うるせぇ! なんだよ!」

Malice(マリス)は片付いた! これからあと始末するから、おまえはその子を家まで送り届けてこい。送りオオカミにはなんなよ?」

「~~っ、だまれアホ!」


 送りオオカミ……? とパチパチまばたきをしながら、すこし顔を上げる。
 一改くんはほおを赤くして、うしろをにらんでいた。


「はははっ、見たか? あの一改が赤い顔してるぜ」

「総長、あんまりいじったらあいつキレるぞ~?」

「そーそー、ひねくれ者におとずれた春なんだから、そっと見守っといてやろうぜ?」

「おまえら全員だまってろ!」


 一改くんの肩から顔を出して、あの人がValor(ヴァラー)の総長なんだ、とナイフを蹴飛(けと)ばしたり、私に声をかけてくれたりした人を遠目に見る。
 やっぱりみんな仲良さそうだな、と思いながら、舌打ちをこぼして目をつぶる一改くんを見上げた。
 Valor(ヴァラー)の人たちにイラだってたみたいだけど、一改くんは私の頭をそっとなでてから、私を離す。


「あー……家まで送ってく」

「あ、ありがとうございます……」

「ん。……あとさ、一個言いたいことがあんだけど」

「はい……?」


 変にドキドキする胸にとまどいながら首をかしげると、一改くんはすこし眉根を寄せて私を見つめた。


「礼を伝えに来てくれたのはうれしいけど。もう、こんなあぶないことすんなよ? Malice(マリス)のやつら、クズばっかだし……」


 言葉のとちゅうで、目を細めて私のほおをなでる一改くんにドキッと心臓がはねる。
 一改くんが今ふれているのは、Malice(マリス)の総長にビンタされたところだ。
 もしかして、赤みが残ってたのかな……?


「なんか、ひでぇことされなかったか?」

「だ、大丈夫です……っ。そんなに、たいしたことは……」

「……はぁ。やっぱ、心配。さっきの、不運がどーたらって話も気になるし……帰り道、話聞かせてもらうから」


 一改くんは私のほおから手を離して、真剣な目で私を見つめる。
 一改くんと、一緒に帰れる。その道中、話もできる。
 なんだか、夢みたいだ。

 ドキドキする胸の音を聞いていると、一改くんは私に背中を向けて、顔だけで振り返る。


「行こうぜ」

「は、はい……っ」



 それからの帰り道は、たくさんのことを話した。
 一改くんはやさしくて、ささいなことでも怒ってくれて。
 私よりも私を大事に思ってくれるような言葉を聞いたら、また涙があふれてしまった。

 水にたれた絵の具が一瞬で色を広げるように、私の日常に溶けこんでくれた一改くんは、日々そのやさしさで、私の心を温かく包んでくれている。
 何度も会うようになって、何度も話すようになって知ったのは、一改くんはすこし過保護だということ。
 それすらもくすぐったくて、いつしか、一改くんがずっと私のとなりにいてくれたらいいなぁ、と思うようになった。

 でも、私には一改くんに返せるものがないから。
 いつか、私から一改くんに渡せるものができたら、このわがままを伝えてみようと思う。
 それまでは……。


「一改くん」

「ん? どうした、かすみ?」

「あのね……ありがとう」


 何度も、心からの感謝を伝えるよ。
 一改くんがクシャッと笑う、その顔が好きだから。


[終]
ありがとうございます💕

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