谷底のカスミソウ ―Valor(ヴァラー) VS Malice(マリス)

1,世界が変わった日

約2,300字(読了まで約6分)


 ――降りかかる“不運”は、ただ()えるのがあたりまえだと思っていた。
 パチパチとカサに当たる雨音を聞きながら、毎日往復(おうふく)する、駅から家までの道を半分ほど進んだころ。
 肩からずり落ちそうになったスクールバッグのヒモを肩の上にもどすと、また(・・)“不運”に出くわした。


「この女、連れて行け」

「うす、総長」

「え……?」


 向かいから歩いて来た、男子5人の集団。
 先頭に立っている、特に体格のいい人が命じると、私は彼らに腕をつかまれて、人気のない路地裏へと連れこまれた。
 “総長”……昔、中学校でわるいうわさを聞いた、Malice(マリス)っていう暴走族の人たちかな、とぼんやり考える。

 理由もわからず、人に害をあたえられることには なれている。


「いい顔だ……大人しいのも気に入った」


 あごをつかまれて、わるだくみをしているような、薄ら笑いを浮かべたリーダー格の人にしげしげと顔をながめられても、私は無感情だった。

 幼いころから、ずっと。私は運がわるかった。
 薄葉(うすば)かすみという名前のせいか、“幸薄そうだよね、()葉だし、かすみ(・・・)だし。顔もそんな感じ”と言われたことも、数えきれず。
 クラスでいじめが起これば、そのターゲットになるのは かならず私だった。


「だが、まずは調教だな。おい、押さえておけ」

「うす」


 花の高校生になったところで、そんな日常は変わらない……。
 それは、わかっていた。

 両サイドから肩と腕をつかまれて、近くの建物に体を押しつけられる。
 冷たい外壁にふれたほおや、セーラー服の胸に水の感触がしみこんでくるのはきっと、たった今カサを落としてしまったから、というだけの理由じゃない。


「オレにさからう気が起きないように……おまえの体に、だれが主か(きざ)みこんでやる。いい子にしていたら、背中の傷はひとつで済むぜ」


 目の前に、銀色の刃がひらひらと差し出された。
 これは、ナイフ……。
 ……ナイフ?

 いつもどおり、“不運”が過ぎ去るときを待って、ぼんやりとしていた意識が、ハッと目覚めたような感覚になる。
 “背中の傷”?
 私、これから……背中を切られるの……!?

 “不運”に()ったからって……いくらなんでも、それはいや……っ!
 壁から離れようとして やっと、逃げ出せないくらい強い力で、壁に押さえつけられていることがわかった。
 目の前からナイフが遠ざかっていくのを見て、心臓がバクバクと音を立てる。


「いや……っ」


 本当に小さな、でも私にとっては精いっぱいのさけび声を上げると、アスファルトと くつがこすれるような、ジャリッという音が近くで聞こえた。
 やってくる痛みに耐えようとして、ギュッと目をつぶれば、周囲から聞こえる雨音が鮮明(せんめい)になる。


「……一改(いっかい)、おまえ……なんのつもりだ?」


 総長と呼ばれ、私にナイフを向けた人の声が聞こえて、おそるおそる、背後に視線を向けると。
 私のうしろに、黒髪の、切れ長な目をした男の子が立っていた。
 私の背中の前に伸ばした左腕が、ナイフの刃先を受け止めている、ように見えて……「え」と小さな声がもれる。


「もう、見て見ぬフリは……やめるってことだ!」


 黒髪の男の子はそう さけぶと、左腕を引いて、ナイフを持った“総長”の手を()り飛ばした。

 ――降りかかる“不運”は、ただ耐えるのがあたりまえだと思っていた。
 ――だから、だれかが体を張って助けてくれるなんて、考えたこともなくて。

 キッと、するどく私の横をにらんだ男の子は、私の体を押さえつけている2人になぐりかかる。


「っ、てめぇ!」


 男の子に反撃(はんげき)するために、左右の2人は私から離れた。
 解放された体をもてあまして、雨つぶを受けながら立ちつくしていると、男の子が4人の男子にかこまれながら、澄んだ目を私に向けてさけぶ。


「逃げろ!」

「……っ、は、はい……っ!」


 一歩、右足をうしろに下げると、ようやく動けるようになって、私は足をもつれさせながら、走ってその場を逃げ出した。
「裏切り者め!」とさけぶ男子の声がうしろから聞こえる。

 一秒も止まらず、走って家まで帰ってきた私の心臓は、バクバクと音を立てていた。


「はぁ、はぁ……っ」

「なによ大きな音を立てて……って、どうしたの? びしょぬれじゃない」


 いつもより いきおいよく開けた玄関の扉の音で、お母さんが寄ってきたらしい。
 声をかけられても答えることができず、私はただ荒い呼吸をくり返す。

 初めて、助けてもらえた……。
 あの男の子は、だれ……?

 私の世界(あたりまえ)を、鮮烈(せんれつ)に塗り替えた彼の姿が――目に焼き付いて、離れなかった。


****

 雨にぬれて帰ったせいで、私はその日から数日、風邪(かぜ)をひいて寝こんだ。
 お母さんにはカサを落としてきたことを怒られ、風邪が治ってからあの路地裏へカサを拾いに行くと、骨が折れた状態で道のはしに落ちていて。
 こわれたカサを拾って帰りながら、あの男の子は大丈夫なのか、ずっとぐるぐる考えていた。

 彼のようすを見に行って、助けてくれたことへのお礼を伝えたい……そう思って、Malice(マリス)という暴走族についてネットで調べ、拠点(きょてん)の場所を知ったものの。
 彼らのもとへ行けば、またおそわれるかも、と思うとこわくて、実際に行動することはできなかった。
 時間ばかりが過ぎていくなか、男装している女性の写真をネットで見かけて、これなら……と考え。

 ほしいものを買っても、だれかにうばわれてしまうから、といつしか貯金(ちょきん)するようになったお小遣いで、ウィッグや胸をつぶせる なべシャツを買った。
 あの日から約2週間後の今日。通販サイトから、宅配で届いた男装グッズを身につけて、私はようやく、Malice(マリス)が集まっているとうわさの倉庫へやって来た。


ありがとうございます💕

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