谷底のカスミソウ ―Valor VS Malice ―
1,世界が変わった日
――降りかかる“不運”は、ただ
パチパチとカサに当たる雨音を聞きながら、毎日
肩からずり落ちそうになったスクールバッグのヒモを肩の上にもどすと、
「この女、連れて行け」
「うす、総長」
「え……?」
向かいから歩いて来た、男子5人の集団。
先頭に立っている、特に体格のいい人が命じると、私は彼らに腕をつかまれて、人気のない路地裏へと連れこまれた。
“総長”……昔、中学校でわるいうわさを聞いた、
理由もわからず、人に害をあたえられることには なれている。
「いい顔だ……大人しいのも気に入った」
あごをつかまれて、わるだくみをしているような、薄ら笑いを浮かべたリーダー格の人にしげしげと顔をながめられても、私は無感情だった。
幼いころから、ずっと。私は運がわるかった。
クラスでいじめが起これば、そのターゲットになるのは かならず私だった。
「だが、まずは調教だな。おい、押さえておけ」
「うす」
花の高校生になったところで、そんな日常は変わらない……。
それは、わかっていた。
両サイドから肩と腕をつかまれて、近くの建物に体を押しつけられる。
冷たい外壁にふれたほおや、セーラー服の胸に水の感触がしみこんでくるのはきっと、たった今カサを落としてしまったから、というだけの理由じゃない。
「オレにさからう気が起きないように……おまえの体に、だれが主か
目の前に、銀色の刃がひらひらと差し出された。
これは、ナイフ……。
……ナイフ?
いつもどおり、“不運”が過ぎ去るときを待って、ぼんやりとしていた意識が、ハッと目覚めたような感覚になる。
“背中の傷”?
私、これから……背中を切られるの……!?
“不運”に
壁から離れようとして やっと、逃げ出せないくらい強い力で、壁に押さえつけられていることがわかった。
目の前からナイフが遠ざかっていくのを見て、心臓がバクバクと音を立てる。
「いや……っ」
本当に小さな、でも私にとっては精いっぱいのさけび声を上げると、アスファルトと くつがこすれるような、ジャリッという音が近くで聞こえた。
やってくる痛みに耐えようとして、ギュッと目をつぶれば、周囲から聞こえる雨音が
「……
総長と呼ばれ、私にナイフを向けた人の声が聞こえて、おそるおそる、背後に視線を向けると。
私のうしろに、黒髪の、切れ長な目をした男の子が立っていた。
私の背中の前に伸ばした左腕が、ナイフの刃先を受け止めている、ように見えて……「え」と小さな声がもれる。
「もう、見て見ぬフリは……やめるってことだ!」
黒髪の男の子はそう さけぶと、左腕を引いて、ナイフを持った“総長”の手を
――降りかかる“不運”は、ただ耐えるのがあたりまえだと思っていた。
――だから、だれかが体を張って助けてくれるなんて、考えたこともなくて。
キッと、するどく私の横をにらんだ男の子は、私の体を押さえつけている2人になぐりかかる。
「っ、てめぇ!」
男の子に
解放された体をもてあまして、雨つぶを受けながら立ちつくしていると、男の子が4人の男子にかこまれながら、澄んだ目を私に向けてさけぶ。
「逃げろ!」
「……っ、は、はい……っ!」
一歩、右足をうしろに下げると、ようやく動けるようになって、私は足をもつれさせながら、走ってその場を逃げ出した。
「裏切り者め!」とさけぶ男子の声がうしろから聞こえる。
一秒も止まらず、走って家まで帰ってきた私の心臓は、バクバクと音を立てていた。
「はぁ、はぁ……っ」
「なによ大きな音を立てて……って、どうしたの? びしょぬれじゃない」
いつもより いきおいよく開けた玄関の扉の音で、お母さんが寄ってきたらしい。
声をかけられても答えることができず、私はただ荒い呼吸をくり返す。
初めて、助けてもらえた……。
あの男の子は、だれ……?
私の
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雨にぬれて帰ったせいで、私はその日から数日、
お母さんにはカサを落としてきたことを怒られ、風邪が治ってからあの路地裏へカサを拾いに行くと、骨が折れた状態で道のはしに落ちていて。
こわれたカサを拾って帰りながら、あの男の子は大丈夫なのか、ずっとぐるぐる考えていた。
彼のようすを見に行って、助けてくれたことへのお礼を伝えたい……そう思って、
彼らのもとへ行けば、またおそわれるかも、と思うとこわくて、実際に行動することはできなかった。
時間ばかりが過ぎていくなか、男装している女性の写真をネットで見かけて、これなら……と考え。
ほしいものを買っても、だれかにうばわれてしまうから、といつしか
あの日から約2週間後の今日。通販サイトから、宅配で届いた男装グッズを身につけて、私はようやく、
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