忘れたものを見つけるために
「どうしたんだ、1人で」
突然訪ねてきた私に、おじいちゃんは
「えっと……なんか、元気かなって」
我ながら下手な言い訳だと思う。
けれどおじいちゃんは、くしゃっと笑って、私を家に上げた。
部活帰り、日も暮れている。
1人で行ける距離におじいちゃん
「おばあちゃんは?」
「ばあさんは友達と旅行に行った」
「そうなんだ」
おじいちゃん1人になるなら、言ってくれればお母さん達みんなで来たのにな。
「1人でも自分の面倒くらい見れる」
「なんで考えてること分かったの」
「顔に書いてある」
おじいちゃんに笑われて、私はほっぺを押さえた。
台所には、緑色の、スーパーボールくらいの大きさの実が山のように積まれている。
「何、あれ」
「梅だ。あれで梅酒を作る」
「あんなに
「沢山買った方が安いんだ。それに、あまっても母さん達にやれるしな」
「ふぅん。梅酒って美味しいの?」
「あぁ」
お酒なんて飲んだことないし、分かんないや。
おじいちゃんが台所に行くのを見て、私は声をかけた。
「手伝おうか」
「ふむ……じゃあ、手伝ってもらうか。これから梅を洗うんだ」
「私は何をすればいい?」
「そこの竹串で、ヘタを取ってくれ」
「分かった」
私は手を洗ってから、竹串を取っておじいちゃんの隣に並んだ。
おじいちゃんが調理台の上に積まれた梅を取って、流水に
それから、私が持っていた竹串を取り上げて、ヘタの根元に竹串を差し込んだ。
くいっと、
「こういうふうに」
「うん」
私は竹串を受け取って、おじいちゃんが次に洗った梅を
少しくぼんだところに竹串を差し込んで、く、と上に押し上げるようにすると、何度か位置を変えた後にヘタが取れた。
もう少し、回すようにしたら簡単に取れるかもしれない。
おじいちゃんが次々と洗って、洗い
今度はくるりと外周を回すように竹串を動かすと、すぽんとあっさりヘタが取れた。
コツ、分かったかも。
「上手いな」
「やり方分かったから」
少しほっぺを緩めて、
「最近はどうだ」
「まぁ、普通?」
「そうか。今日も部活頑張ってきたのか?」
「うん……まぁ」
はぁ、と溜息をつく。
「どうした」
「……なんか、やる気がなくなっちゃって」
「嫌なことでもあったのか?」
「大会の選抜メンバーに、選ばれなかったんだ。なんか、私じゃ無理なのかなって」
「まだ、最後の機会じゃないだろう?」
「そうだけど……最近、部活しんどいことばっかだし、なんのために頑張ってるんだろうって思ってさ」
「そうか」
水道の音を聞きながら、くるりとヘタを取る。
「吹奏楽、嫌いになったか?」
「嫌い……ってほどでもないけど。部活はしんどいから、いっそ辞めちゃおうかなって」
「そうか。まぁ、それもいいんじゃないか」
「お母さんは絶対ダメって言うよ」
「本当に辞めたいならじいちゃんが説得してやる」
「ほんと?」
「あぁ」
ほっ、と気が楽になった。
「でも、部活をやめたら演奏する機会がなくなるんじゃないか」
「うん……そうだけど」
「初めて演奏したのは何年前だったか。じいちゃん達に“見て見て”って言ってきたなぁ。あのときは楽しそうだった」
「まぁ、楽しかったし」
くすぐったくて、ごまかすように笑う。
ヘタを生ごみ入れに捨てて、新しい梅を拾い上げた。
「毎日のようにやってたんだろう。ばあさんから聞いたぞ」
「うん、まぁ」
「そのうち、友達と演奏するのが楽しいってよく言うようになったな」
「そうだっけ」
「あぁ。その後は、難しいけど練習するのが楽しいって言ってた」
「……うん」
だんだん、前の気持ちを思い出してきた。
「部活は大変じゃないか、ってじいちゃんが聞いたの覚えてるか」
「ん……覚えてる」
「そのときは、“楽しいから全然”って言ってたな」
「うん……」
気持ちのズレに気づいて、手の動きが鈍くなった。
「最近は、楽しくないか?」
「……楽しいって言うより、大変。全然上手くできないし、課題も沢山あるし。先生にもよく怒られるし……」
「そうか。先生に怒られて、どうしたい?」
「どうしたいって、そりゃあ、怒られないようになりたいよ」
「じゃあ、課題が沢山なのは?」
「減ればいいと思う」
「上手くできないのは?」
「上手くできるようになりたい。……でも、できないんだもん」
なんだか涙が込み上げてきて、泣かないように、泣かないように、と深呼吸をした。
意識を
「どうしてできないと思うんだ」
「だって、頑張ったって怒られるし、みんなの方が上手くできてるし」
「でも、昔の方ができなかっただろう。全然上手くはなかったし、課題だって今より沢山あったはずだ」
「そうだけど……でも、始めたてはそういうもんじゃん」
「上手くできなくても、誰も怒らなかったろう。どうしてだと思う?」
「そりゃあ……怒るのが変だからでしょ? 初めてで上手くできるわけないし」
「そうだな。なら、先生が今怒るのはどうしてだと思う?」
考えていなかったことを聞かれて、視線を斜めに向ける。
「……できて当り前だから?」
「いいや。きっと、頑張ればできるって、期待してるからだ」
「頑張れば……」
私にもできる?
「怒られるのは、上手くできるようになった証だ。もっと上手くなれると期待しているから、怒るんだと思う」
「でも、怒られるのは嫌だよ……」
「そうだな。
お母さん達だったら、絶対怒るな。
教えてもらってるのに先生に文句を言うなんて、って。
「人それぞれ、得意なことも苦手なことも、学ぶスピードも違う。みんなの方が上手くできてるかもしれない、でも梅のヘタを取るのはみんなの方が下手かもしれない」
「こんなに簡単なのに?」
「何を簡単だと思うかも人それぞれだ。手先が不器用な人なら、ヘタを取るのは難しいと思うだろう」
「そうかな……」
「人は自分の感覚しか分からないからな。もっと、人の得意なこと、苦手なことを聞いてみなさい。違いを知れば、自分のこともよく分かるようになる」
自分のことも……。
「続けていれば、少しずつできるようになる。でも、続けるのは大変だ」
「うん」
「やって当たり前になってくると、義務感みたいなものが生まれる。やりたいからやるんじゃなくて、やらなきゃいけないからやるんだ、ってな」
「……」
私が、まさに今そんな状態かも。
部活だからやらなきゃって。
「“初心忘るべからず”って言葉がある。それはきっと、今みたいなときに大事なことなんだ」
「初心……」
「もう、好きじゃなくなったなら、じいちゃんは辞めてもいいと思う。でも、好きな気持ちを、楽しむことを忘れてしまっただけなら」
好きな気持ち。
楽しむこと。
「一度立ち止まって、深呼吸をして。やらなきゃいけないことじゃなくて、何をやりたかったのか、初心を思い出す時間を作ればいい」
「何を、やりたかったのか……」
「今は、足を止めなさい。そして、自分の気持ちと向き合うんだ」
「……うん」
私はうなずいた。
しっかりと、うなずいた。
「場所が必要なら、いつまでもここにいたらいい。忘れてしまったものが見つかったら、また行きたい方へ歩いていきなさい」
「うん。おじいちゃん、ありがとう」
私はヘタを取る手を止めて、おじいちゃんに笑顔を向けた。
それは、もしかしたら吹奏楽と決別せずに済んだ、人生の
しんどくなったとき、好きな気持ちや、楽しむことを思い出そうと、足を止めることをためらわなくなった私の原点でもある。
おじいちゃんを見送った後も、おじいちゃんが教えてくれた大切なことは胸にあるから。
道に迷っても、また歩き出せる。
そんな気がするんだ。
「ありがとう、おじいちゃん」
私は空に向かって、笑顔を向けた。
(※無断転載禁止)
この物語は、別名義でノベルゲームとして作った物語を、小説版として改変したものです。
→ノベルゲーム版「チルする5分」